1996年1月、私はブエノスアイレスから南へ数時間の距離にあるマル・デル・プラタのビーチに寝転んでいました。BNP Paribasで最初の仕事に就いて間もない頃、休暇で訪れたときのことです。まだ若く、キャリアを歩み始めたばかりだった私は、「これから自分は人生で何をしていきたいのか」と考えていました。単なる職業選びの話ではありません。人生をかける目的をどこに置くか、という問いでした。

前年の1995年、私はタイで半年を過ごし、同国初のインターネット・サービス・プロバイダーの立ち上げに携わっていました。この経験は、私に2つのものを同時に与えてくれました。

1つは、新しいテクノロジーが社会をどれほど大きく変えうるかを、身をもって実感したこと。もう1つは、「新興国」という言葉を、教科書のなかの抽象としてではなく、自分が見て、暮らした現実として理解したことです。

1990年代半ば、インターネットはまだ新しく、私の周囲にも使ったことのない人がほとんどでしたが、それが着実に広がり、やがて世界を大きく変えることは明らかでした。その一方で、貧困は、依然として世界が抱える大きな課題の一つでした。行く先々でその現実を目の当たりにし、何十年にもわたって支援が続けられてきたにもかかわらず、簡単には解決できない問題なのだと感じていました。

マル・デル・プラタの砂の上で、その2つの問題意識が1つにつながりました。世界中の人々をつなごうとしているこの新しいテクノロジーを使えば、これまで金融システムから取り残されてきた人々にも金融サービスを届けられるのではないか。

あのとき抱いた問いが、27年経ったいまも、私の原点であり続けています。

1998年:まだ名もなきムーブメントへ

1997年、私はBNP Paribasで働きながら、このアイデアを形にし始めました。同年9月、ブエノスアイレスからジャック・アタリに構想をまとめた企画書を送りました。ジャックはこれに関心を持ち、私たちはメールでやりとりを重ねるようになりました。

やがてジャックはアスペン研究所のイベントで私のアイデアを取り上げてくれました。1997年12月にパリで初めて顔を合わせたとき、彼は「この構想を、具体的な事業計画にしてみてはどうか」と言いました。

机上の空論にならないよう、自分の目で現場を見なければならない。そう考えた私はケニアに移り住み、6カ月間、現地で生活しながら計画を練り上げました。

こうして生まれたのがPlaNet Financeです。1998年に正式に設立しました。当初描いていたのは、インターネットを使って、マイクロファイナンス機関とドナー、そして専門家の知見を結びつける、一種の「バーチャル銀行」でした。バングラデシュでグラミン銀行を創設し、後にノーベル平和賞を受賞するムハマド・ユヌスは、私たちにとって大きな道しるべであり、PlaNet Financeのアドバイザリーボードの議長にも就任してくれました。

当時のこの分野がどんな姿だったかは、想像しにくいかもしれません。1997年、ワシントンで開催された第1回マイクロクレジット・サミットでは、非常に大きな目標が掲げられました。2005年までに、世界で最も貧しい1億世帯に融資を届ける、というものです。1997年末の時点で、マイクロファイナンス機関は618、顧客数は1,350万人。そのうち760万人が最貧困層に属していました。

当時のマイクロファイナンスの担い手は、そのほとんどがNGOや非営利団体でした。規模は小さく、多くは外部からの支援資金に支えられ、限られた予算のなかで活動していました。互いのつながりは乏しく、フォーマルな金融システムからも切り離されていました。

そこには情熱があり、革新もありました。足りなかったのは、資金とテクノロジーの活用です。そのため、金融サービスを利用できるのは、ごく限られた人々だけでした。そんな状況のなかでPlaNet Financeが目指したのは、各地で活動する組織をつなぎ、その成長を支えることでした。世界中のNGOを結び、技術支援や格付、調査研究を提供し、やがては資金調達の支援にも取り組むようになりました。

パリのオフィスでわずか2人から始まったPlaNet Financeは、5年後には30カ国・80人以上に、2008年には約80カ国で700人近くが活動するまでになりました。

振り返れば、あの頃は「NGOが担うマイクロファイナンス」の黄金期でした。より多くの人に金融を届けたいという思いが、世界各地で活動を押し広げていきました。小さな融資であっても、それを必要とする人に届けることができれば、人生を変える力になると信じていました。

2005〜2018年:NGOから銀行へ

2000年代半ばになると、私自身の考えも、マイクロファイナンスを取り巻く環境も変わり始めました。技術支援やアドバイザリーを中心とする従来のNGOのアプローチでは、できることに限りがあります。数千人ではなく数百万人に持続的にサービスを届けるには、NGOでは構造的に手に入らないものが必要でした。より大きな資金と、規制下の金融機関として事業を拡大していくためのライセンスです。

その発想を形にしたのが、2005年にPlaNet Financeをベースに立ち上げたMicroCredです。PlaNet Financeが既存のマイクロファイナンス機関を支援する立場だったのに対し、MicroCredは自ら金融機関を設立し、各国の規制のもとで金融サービスを提供するという新たなアプローチを取りました。PlaNet Financeに加え、AXA、欧州投資銀行(EIB)、国際金融公社(IFC)なども株主として参画しました。

最初の融資を実行したのは2006年2月。メキシコの青果店が第一号でした。同年中にマダガスカル、翌年には中国・四川省、さらにセネガルへと展開していきました。

文字にすると淡々としていますが、当時としては従来の取り組みとは異なる賭けでした。マイクロファイナンスの未来は、外部からの支援資金に依存するプロジェクトではなく、自立した金融機関として成長することにある。各国の規制当局のもとで、融資だけでなく預金も取り扱い、持続的に金融サービスを提供できる仕組みをつくる。それが、MicroCredの目指したモデルでした。

2008年から2019年まで、私はこのモデルを各地で形にすることに力を注ぎました。やがて、アフリカと中国にまたがるマイクロファイナンスのネットワークへと成長し、2015年にはブランド名をBaobabに変更しました。厳しい環境でもたくましく生き、周囲の暮らしを支えるバオバブの木。その姿が、フロンティア市場で私たちが目指していたあり方と重なったからです。

2019年までにBaobabは、100万人の顧客に年間10億米ドルを融資するまでになり、アフリカと中国において、マイクロ・中小企業向けデジタル銀行を代表する存在の一つとなりました。

同じ頃、マイクロファイナンス業界も大きな転換期を迎えていました。決して平坦な道のりではありませんでしたが、さまざまな議論を重ねながら、業界として成熟していった時期でもあります。なかでも、M-Pesaに代表されるモバイルマネーは、デジタル技術が金融包摂を大きく前進させる可能性を示しました。また、2007年にメキシコのCompartamosが株式上場したことで、利益と社会的使命をどう両立させるのかという議論が、業界全体で交わされるようになりました。

そして2010年、インドのアンドラ・プラデーシュ州で過重債務問題が深刻化します。急速な事業拡大に、責任ある融資の仕組みや規制の整備が追いつかなければ、深刻な問題を引き起こしかねない。そのことを業界全体が突きつけられた出来事でした。

こうした変化を経て、マイクロファイナンスを取り巻く環境は、私がこの世界に足を踏み入れた1998年当時とは大きく変わりました。規制が整い、資本が集まり、デジタル化も進むなかで、財務だけでなく、どれだけ社会的な価値を生み出しているかも重視されるようになりました。2010年には、マイクロファイナンスの顧客数は1997年の1,350万人から2億人を超えるまでになりました。PlaNet Financeを立ち上げた頃には、想像すらしなかった規模です。

2019年以降:五常で始まった新たな挑戦

2019年にBaobabを離れ、五常にManaging Partnerとして加わりました。ただ、自分のなかでは、それまでとはまったく違う道を選んだという感覚はありませんでした。マル・デル・プラタの海辺で最初に抱いた問いから、ずっと続いてきた道の先に五常があった。そんな感覚でした。

五常に加わったとき、PlaNet Financeを立ち上げた頃とどこか似た感覚がありました。マイクロファイナンスで世界を変えたい、貧困をなくしたいという、まっすぐな思いと勢いです。1999年から2005年まで、PlaNet Financeの立ち上げに奔走していた私も、そんな思いに突き動かされていました。

まだ実績のない段階で投資家に可能性を信じてもらい、優秀な人たちを仲間に迎えるには、強く未来を信じることが必要です。若く野心的な組織だからこそ、試行錯誤を重ねるなかで、うまくいかないこともありました。しかし五常は、そうした経験の一つひとつを糧にしてきました。特にこの5年間で得たものは大きかったと思います。

27年を振り返ると、マイクロファイナンスは大きく姿を変えてきました。その変化は、マル・デル・プラタの海辺でこれからの人生について考えていた頃には、想像もしていなかったものです。始まりは、NGOを中心としたムーブメントでした。経済的に厳しい状況にある人々にも、融資を受け、返済していくする力があること、そして小さな融資が人生を変え得ることを証明してきました。

規制や資本基盤が整うにつれて、マイクロファイナンスは金融機関が担う一つの産業へと発展していきました。より多くの人に金融サービスを届けながら、金融機関としての責任も果たしていく。そんな仕組みが、少しずつ確立されていったのです。

そして今、データの活用やデジタル化、さらに人工知能(AI)などのテクノロジーによって、その変化はさらに加速しています。マイクロファイナンスは、もはや特別な金融サービスではなくなりつつあります。誰もが当たり前に金融サービスを利用できる、そんな時代へと変わり始めています。

この先どんな展開が待っているのかは、私にもわかりません。PlaNet Financeの事業計画を書いていた頃にMicroCredの立ち上げを想像できなかったように。MicroCredを創業した頃にいつか五常に加わることになると思い描けなかったように。

ただ、一つだけ確かなことがあります。あの日、マル・デル・プラタの海辺で自分に投げかけた問いです。

「テクノロジーを活かして、これまで金融から取り残されてきた人々に、どうすれば金融サービスを届けられるのか」

あの日から27年。テクノロジーは進化し、マイクロファイナンスのあり方も大きく変わりました。それでも、私が向き合っている問いは変わりません。時代に合わせて方法を変えながら、その問いに向き合い続ける。五常での挑戦も、その歩みの先にあります。

Arnaud Ventura

Managing Partner